5時起き100日目、ものへの執着を手放し、心に余白を

5時起き100日目。
一昨日の夜、急に家に来ることになった人がいた。

急だったので、急いで押し入れにものを押し込み、半ば力任せに部屋を片付けた。床に置いてあったものがなくなり、床面積が広くなった。すっきりした。

翌朝起きてみると、部屋は片付いたままだ。足元がすっきりしている。ものが少ないのは、本当に気持ちがいい。人が来るとわかった時だけ片付けるのは毎度のことだが、それでも片付いた部屋はやはりいい。誰かの目がなければ動かない自分がいるが、その結果として気持ちのいい空間ができるのなら、きっかけは何でもいいのかもしれない。

最近、アリをよく見かける。どこから侵入してきたのだろう。1匹、そして1匹、壁や床で見つける。アリの列が並んでいるわけではないため、なかなか気づきにくい。ものが多いと、小さなアリはさらに見えにくくなる。部屋が片付いてはじめて、その存在に気づいた。

いらないものはたくさんある。捨てようと思っているものも多い。ただ、これまでメルカリで意外なものが急に売れたことがある。そうすると、このいらないものも売れるかもしれない、と思って捨てられずに溜まっていく。メルカリという武器を持ったことで、かえって手放せなくなっている部分がある。

今の部屋は、まだ押し入れにものがしまってあるままだが、床が広くすっきりした状態が続いている。この状態がとても気持ちいい。

ものを持つことは、何かへの執着だ。

大事なものとそうでないものが見えなくなり、頭が混乱する。だからきっと、やらなければいけないことを後回しにしてしまうのだろう。

捨てたものの中には、高く売れたかもしれないと思うものもある。だが、捨てたことで、そのものが頭から離れた。思い出しはするが、ずっと考えることはなくなった。そして、意識は今あるものへと向かっている。常に何かに囲まれて生きているからこそ、何を手放すかが大切なのだと思う。

一つ大きなものがあるが、その処分に困っている。あの日あの時、本当に欲しかったものであることも間違いない。その後どう扱い、どう接してきたか。そして今どうなのか。それによって、必要かそうでないかが決まっている。

高齢者の方たちを見ていて感じることがある。高齢になってからでは、捨てられなくなる。動きたくても動けなくなっている。絶対に使わないものでも、動かすことすらできなくなっている。処分を考えることすら、もう頭にない。そして、生活のために必要なものが少しずつ増えていく。

将来、そんな高齢者になりたいと思わない。今の生活が将来の生活につながる。

世の中にはものが溢れている。部屋にも物が溢れている。思い出のものはなかなか捨てられない。だが、着ないものや使わない本当にいらないものは、処分していこう。メルカリに出品するなら期限を決めて、世の中の人に必要とされなければ、潔く手放すことにしよう。

この文章に目を止めてくださり、最後まで読んでくださった方に感謝です。
今日も、素敵な一日をお過ごしください。

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